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平成を振り返ると

2019年04月30日

本日は平成31年4月30日。平成に別れを告げ、新たな令和の時代が幕を明けます。この30年間を振り返ってみると、死との向き合い方や葬送の在り方などが昭和までと大きく異なってきた転換点だったということがいえます。

死亡者の増加と葬儀サービスの隆盛

 厚労省発表の人口動態統計によると、平成元(1989)年の死亡者数は約79万人でしたが平成30(2018)年の死亡者数は約137万人と73%も増加しています。この間は、1994年、1996年、2009年と3回前年を若干下回る年があっただけで、ずっと増加し続けていました。まさに日本が多死社会を迎えつつあることを表しています。この死亡者数の増加に伴って、葬儀サービスを展開する事業者も増加の一途をたどってきたのでしょう。残念ながら直接的な統計データは存在しないのですが、経済産業省が2017年に公表した「葬儀業界の現状」というレポートに次のような調査結果が載っています。

■葬儀会場の変化

葬儀場の種類 1999(平成11)年 2014(平成26)年
自宅 38.9% 6.3%
葬儀用専用式場 30.2% 81.8%
寺・教会 23.5% 7.6%
集会場 6.9% 1.6%
その他 0.5% 2.8%

 セレモニーホールと呼ばれる葬儀専用式場つまり葬儀事業者のもとでの葬儀が、30%から81%に激増しています。もはや昭和のような隣組などの協力を仰ぐ葬送文化は風前の灯ということになります。

多様な弔い方の登場

 現在では社会的に認知されているさまざまな葬送は全て平成になって普及したものでした。

 永代供養墓という言葉とともに、合葬墓が社会的に広く認知されたのは平成に入ってすぐでした。新潟県新潟市にある日蓮宗妙光寺が平成元年に造った「安穏廟」という合葬墓が始まりであるとされています。その後平成2年に高野山真言宗功徳院東京別院の「もやいの碑」、京都日蓮宗常寂光寺の「志縁廟」など全国各地に次々と開設され始めました。

 いま最も注目を浴びているかもしれない「樹木葬」。人用の樹木葬墓地は、1999(平成11)年に岩手県一関市の祥雲寺が申請し許可された民間霊園「樹木葬公園墓地」が日本初といわれています。

 現在も増加の一途をたどっている「直葬」は2000(平成12)年以降に都市部を中心に一気に広がったといわれています。バブル崩壊の日本は長期にわたる景気低迷期を迎えていました。葬儀のダウンサイズが求められたのは必定だったのかもしれません。そして「家族葬」という言葉が登場するのが2003(平成15)年ころです。小規模な葬儀が消費者ニーズに合致することを敏感にとらえた葬儀事業者が一気に攻勢に出たのだと思っています。

 また手元供養は2006(平成18)年にNPO法人手元供養協会の発足とともに登場したといえるでしょう。

 散骨も平成に入ってから目立つ動きが見られるようになります。1994(平成6)年に、東京都所有の水源林の区域に散骨が実施され、地域住民から苦情が出たため、地元市町村が東京都に対して散骨を容認しないことを求める要請書を提出したという事象が起きています。1998(平成10)年には厚生省生活衛生局(当時)が散骨を容認するかのような報告書をまとめますが、その後各地でトラブルが発生し、2005(平成17)年に北海道長沼町は散骨を規制する条例を制定し、その動きは全国に拡がりつつあります。

終活も平成

 終活という言葉が初めて使われたのは、2009(平成21)年に発刊された週刊誌『週刊朝日』の連載記事でした。この連載を機に終活が第一次ブームとなり2010(平成22)年の新語・流行語大賞にもノミネートされています。エンディングノートもこの連載をきっかけに話題になり、2011(平成23)年に公開されたドキュメンタリー映画『エンディングノート』で、広く社会に認知されるようになります。

 

エンディング産業、フューネラルビジネスという言葉が定着したのも平成でした。振り返ると、日本の葬送文化が激変した時代だったということがよく分かりますね。きたる令和の時代は、さらに大きな変化が訪れるのではないかと筆者は(根拠はないですが)思っています。