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【寺社参り・お墓参り】両国回向院(東京都墨田区)~JR・都営地下鉄大江戸線両国駅~

2019年01月30日

今回訪れたのは、浄土宗の名刹回向院です。かつては南千住回向院の本院でしたが現在南千住回向院は独立しています。開山は1657(明暦3)年。「振袖火事」として知られる明暦の大火で、江戸市中の6割以上が焼土と化し、10万人以上が命を落としました。その多くは身元も分からない状態であったために、無縁仏として供養するために建立された御堂が回向院の始まりです。

 回向院最大の特長は、宗派にこだわらずに供養するということですが、ヒトだけでなくこの世に生を受けたもの全てを供養するという理念をお持ちです。そのため、「猫塚」「犬猫供養塚」「小鳥供養塚」「オットセイ供養塚」など、さまざまな動物を供養する場があります。筆者が訪れたときも、かつて飼っていたペットの供養なのでしょう、幾組もの人が供養塚に線香を供えて手を合わせている姿をみることができました。

 徳川家綱の愛馬が死んだとき建立された馬頭観音堂があり(現在のお堂は再建されたもの)、中には馬頭観音像が安置されています。この馬頭観音は、江戸時代には「江戸三十三観音」のひとつに数えられており、現在も昭和新撰「江戸三十三観音参り」の第四番礼所として多くの参拝者を集めています。このお堂でもペットの供養ができるようです。

犬猫供養塚

左手前が「小鳥供養塚」、中央の奥に見えるのが「馬頭観音堂」

 

 回向院で最も有名なのが、鼠小僧次郎吉の墓です。南千住回向院にもある墓は、次郎吉を慕う市民が建てたもので、本当の墓はこちらになります。鼠小僧次郎吉がなかなか捕まらなかったという運にあやかろうと当時から墓石を削ってお守りにする人が後を絶たなかったそうです。そのためでしょう、現在は墓の前にお前立ちという身代わりが建てられていて、その石碑を削る風習になっています。

奥が「鼠小僧次郎吉」の墓。手前の白っぽい石碑がお前立ち

 

 回向院に墓がある歴史上の人物にもうひとり、人形浄瑠璃の創設者である竹本義太夫がいます。義太夫が眠る本当の墓は大阪の超願寺にありますが、ここは江戸市民が義太夫を偲ぶために建立されたのでしょうね、義太夫の墓の周りには竹本一族の墓も並んでいます。

竹本義太夫の墓

 

 また回向院では、江戸時代から1909(明治42)年まで76年間にわたり、相撲の興行が行われていました。両国国技館の完成とともに興行の場ではなくなりましたが、1936(昭和11)年に日本相撲協会が、故人となった角界の年寄を慰霊するために「力塚」を建立しました。現在も新弟子が強くなるための祈願の場として、相撲協会とは深いつながりが続いています。

力塚