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【寺社参り・お墓参り】徳川将軍家霊廟(増上寺/東京都港区)~都営地下鉄三田線芝公園駅~

記事公開日:2019.02.20/最終更新日:2023.04.13

徳川将軍家の墓所は、上野の寛永寺と芝の増上寺の2つがあります。上野寛永寺の霊廟は原則非公開となっていて、参拝するには事前に申し込みが必要です。また、公開される日も決まっていて、既に公開予定日の受付は数カ月先まで満杯です。一方で増上寺の霊廟は、予約する必要もなく、毎日決められた時間であれば参拝することができます。

 

増上寺と寛永寺、なぜ徳川将軍家の墓所が2つあるのでしょう?浄土宗の増上寺を徳川家の菩提寺と定めたのは家康でした。自らは増上寺ではなく日光の東照宮に眠っているのですが、2代目将軍の秀忠は増上寺に埋葬されました。家光の代に、家康以来の将軍側近として暗躍?していた南光坊天海が、自らの宗派である天台宗寛永寺を菩提寺とするよう家光に強く勧め、家光が寛永寺も菩提寺と定めたのです。家光本人は東照宮への埋葬を遺言としたため寛永寺に埋葬されることはありませんでしたが、その後の家綱、綱吉が寛永寺に埋葬されます。家光も天海もこの世を去ってから時が流れてその威光が薄れてきたころ増上寺が反撃に撃って出るわけです。「権現様が菩提寺に定めたのは増上寺なのだから、おかしいだろ」。そこで、折衷案として交互に将軍を埋葬する取り決めとなったのだそうです。

 

2代将軍秀忠とお江の方の墓

増上寺に埋葬された将軍は次の6人

2代将軍秀忠

6代将軍家宣

7代将軍家継

9代将軍家重

12代将軍家慶

14代将軍家茂

将軍以外に、秀忠の正室お江の方、家茂の正室和宮も祀られています。

 

寄り添うように並んで建つ14代将軍家茂と和宮の墓

増上寺の墓所には、厳粛かつ壮麗な霊廟が建てられ、戦前までは国宝に指定されていました。しかし誠に残念なことに太平洋戦争の東京空襲でその全てが焼失してしまうのです。戦後暫くは荒れ果てていましたが、1958年から行われた学術調査がきっかけとなり整備されて現在に至っています。

 

現在は霊廟すらなく、徳川将軍家の墓にしては小ぢんまりとした墓所です。しかし、外国人観光客も増えている増上寺の中では、徳川将軍家に興味がある外国人が少ないためなのか、平日であれば訪れる人も決して多くはないので、落ち着いた雰囲気の中でお参りをすることができます。