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【寺社参り・お墓参り】護王神社〈京都市上京区〉~京都市営地下鉄烏丸線丸太町駅~

記事公開日:2019.04.05/最終更新日:2023.05.15

今回訪れたのは広大な京都御所のすぐ近くにある護王神社です。こぢんまりとした神社ですが、とても印象的な神社でした。

護王神社の主祭神は、和気清麻呂と和気広虫姉弟です。歴史の教科書を思い出しましたか?

『続日本紀』によると、奈良時代の769年に後に「宇佐八幡宮神託事件」と呼ばれる事件が起きます。当時権勢を誇っていた弓削道鏡が天皇の座を望み「道教を皇位につかせたら天下泰平である」と宇佐八幡宮が降ろした神託を時の称徳天皇に奏上します。称徳天皇は神託の真偽を確かめるために、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣するのです。清麻呂は宇佐で「わが国は開闢このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という神託を聞き、大和に持ち帰って奏上します。この行為は道教の怒りをかい、和気清麻呂と姉の広虫は流刑に処せられてしまいます。その後称徳天皇が崩御すると道教は失脚し、清麻呂と広虫も赦されて宮中に戻り、実務官僚として手腕を発揮します。長岡京から平安京への遷都を進言したのも清麻呂で、自身も遷都事業に尽力しました。

 

後世になると、皇統を守った功績を讃えられ、江戸時代には護王大明神の神号が与えられます。また、太平洋戦争前は「忠臣の鏡」として歴史教育でもとりあげられていたようです。この清麻呂、広虫姉弟を祀った護王神社の歴史はかなり古く正確な創建年は分かりません。1986(明治19)年に明治天皇の勅命で社殿が造営されて現在に至っています。

表門。正面奥に見えるのが拝殿で、その奥が中門を経て本殿

 

護王神社の特徴は「いのしし」です。神社によく見られる狛犬ではなく狛猪が鎮座しているのですが、これは和気清麻呂が流刑に処せられたときの逸話がもとになっています。

道教は清麻呂を流刑の道中で暗殺しようと試みます。放たれた刺客の手から清麻呂を守ったのはどこからか現れた300頭もの「いのしし」でした。「いのしし」たちは、清麻呂一行を取り囲んで守るとともに、流刑地までの道案内をしてくれました。また、清麻呂は流刑にされるときに道教によって足の腱を切られ歩くことすらできない状態でしたが、道案内を終えた「いのしし」たちがどこかに去っていった後には不思議な事に足の痛みが治まり再び歩けるようになったと伝えられています。そこで清麻呂とともに「いのしし」を祀った護王神社は、足腰の守護神としても仰がれています。

手水舎にも「いのしし」

チェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏の作品「飛翔親子猪」

 

境内には狛猪だけでなく、あちこちに「いのしし」がいっぱい置かれています。亥年の人や、足腰に不安がある人にとっては必ず訪れてみたいパワースポットと言えそうですね。最近では、フィギュアスケートの羽生結弦さんが怪我をしたとき、怪我からの回復を祈念するファンも数多く訪れていたそうです。

さまざまな「いのしし」が。いのししコレクション