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キリスト教の墓について

記事公開日:2020.11.02/最終更新日:2023.03.31

日本の墓は圧倒的に仏式の墓が多いのが実情ですが、キリスト教徒も数多く存在しています。キリスト教信者の墓にはどのような特徴があるのでしょうか。

墓の体裁に決まりごとは存在しない

まず初めに、ステレオタイプのような誤解を解いておきたいと思います。ネットでもよく見かけるのは次の3点です。

① キリスト教の墓は1人に1つ

② 墓には十字架を刻み込む

③ 線香を供える習慣がないため香炉がなく蝋燭を立てるための蝋燭台がある

確かにこのような体裁の墓が多いのですが、決してキリスト教としての決まり、慣習ではありません。筆者の妻はカトリック教徒で、妻の実家は一家揃って敬虔なカトリック教徒です(妻はあまり熱心ではないのですが‥)。義父と義兄が眠る墓は家族墓で「○○家の墓」という文字が刻まれていますが十字架は刻まれていません。そして蝋燭台はなく、線香を供える香炉が置かれています。夫と息子に先立たれた義母は、墓にお参りをするときに線香を供えています。全てのキリスト教徒が線香を供える習慣がない、ということは言えないのです。これはキリスト教徒であっても、仏式の祭壇や墓にお参りをする時は線香を供えることが慣習として根付いているからだと筆者は考えています。『キリスト教のお墓の形式に関して、守らなくてはならない決まりごとは基本的に存在しません。』という記事を見つけましたが、これこそが唯一の正解であると考えています。その理由としては、キリスト教は亡くなった人は天に召されると考えるため、かならずしも墓は必要ではない、という思想が根底にあるからだと考えることができます。

墓所は限定される

一方で、キリスト教徒の墓所は限定される、という説明は正解です。寺などで宗教や宗派が特定されている墓所には埋葬することができません。またキリスト教といっても、カトリック、聖公会、多数のプロテスタント教派が存在しますので、教派が特定されている墓所には基本的には埋葬できません。宗教や宗派を問わない墓所、多くは霊園、に埋葬することになります。ただし教会の中には、宗派が異なっている場合でも埋葬できる納骨堂などを運営しているところもあります。例えば、カトリック高輪教会内にあるクリプト高輪という納骨堂は、カトリック信者でなくても信者の縁故者であれば申し込むことができます。このように縁故者、家族などが条件のところがほとんどですが、その教派の信者ではなくても埋葬できる場所が存在することは確かです。

散骨、手元供養はいずれもNGです

ところでキリスト教では、日本で最近耳目を集めている散骨や手元供養を認めているのでしょうか。聖公会は文書が見つからず、プロテスタントは教派が多すぎて調べることができませんでしたが、カトリックには死者の埋葬、火葬における遺灰についての指針が公にされています。これは2016年にローマ法王庁の教理省が公布したもので、火葬をカトリック教会として正式に認めた文書とされているものです。この指針の最後である第6項から第8項には次の一文が明記されています。

6. (前略)死者の遺灰を自宅に保管することは認められません。その地域独特の文化的条件と結びついた重大かつ例外的な状況の場合にのみ、裁治権者は司教協議会あるいは東方教会の代表司教会議と一致して、死者の遺灰を自宅で保管する許可を与えることができます。ただし、遺灰を家族成員の異なる世帯の間で分け合うことはできません。

7. 汎神論者、自然主義者、虚無主義者の類のあらゆる誤解を避けるために、遺灰を空中、地上、水中、もしくはその他の方法で撒(ま)くことは許されません。同じように、思い出の遺品、装身具、その他の物の中に保管することは許されません(後略)。

8. キリスト教信仰に反する理由のもとに、死者が火葬と、遺灰を自然の中にまき散らすこととを明らかに遺言していた場合、教会法の規定に従ってその葬儀は拒否されなければなりません。

このように、カトリックでは、散骨も手元供養も認めていません。おそらくですが、聖公会とプロテスタントの各教派も、キリスト教信仰という点では共通ですし、どちらかというとプロテスタントは戒律が厳しい教派が多いことから、キリスト教は散骨も手元供養も原則NGであると考えておくのが無難だと思います。

 

先に記したように、キリスト教の墓には明確なルールは存在しません。墓を仏教のように故人や先祖が眠る場所とは考えないので、『仏教のような墓参りはしない』などという記事も見受けますが、筆者の義母は毎日のように墓参をし、義父と義兄と対話をしています。墓参りも人それぞれ、ということです。キリスト教の墓に、信者ではない人がお参りをするときも、故人を弔う気持ちさえあれば、明確な作法やルールは存在しない、と考えて良いでしょう。