冠婚葬祭に関する豆知識など、
様々なお役立ち情報をお届けします。

powered by ごじょクル

2017年に亡くなった方々(日本編)

記事公開日:2017.12.15/最終更新日:2023.03.27

2017年も、たくさんの著名人が惜しまれてこの世を去りました。その中の何人かを、略歴と簡単なエピソードとともにご紹介し、お悔やみの場とさせていただきます。選定基準に筆者の知識、興味の偏りがあることをご容赦ください。

2017年1月21日逝去

松方弘樹さん 俳優 享年74歳

17歳で東映のニューフェイスとしてデビューしました。若いころは主役を演じる作品もありましたが東映、大映の助演が中心でした。1970年代に映画「仁義なき戦いシリーズ」、渡哲也病気降板後のNHKの大河「勝海舟」の主演などでも活躍。70年代中盤からの東映実録ヤクザ路線でも多くの作品に出演しています。

80年代以降は、俳優よりも「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などのバラエティーへの出演や、マグロの一本釣りなどのほうが有名ですね。

時代劇・現代劇、映画・テレビドラマ問わず出演作は多数。昭和から平成にかけての名優の1人です。

勝海舟で共演した仁科亜季子と結婚しています(その後離婚していますが)。当時、仁科亜季子のファンだった僕は、松方弘樹を目の敵にしたことを覚えています。

2017年1月25日逝去

藤村俊二さん 俳優、声優、タレント 享年82歳

テレビドラマ中心の渋いバイプレーヤーでした。画面に映るのが嫌でその場から「ひょい」と逃げていたところ、「おヒョイ」のあだ名がついたという逸話があります。確かにそんなイメージですね。なんとなくその姿と立ち居振る舞い、少しとぼけた声を覚えているんですが、作品とは一致しないんです。

一番慣れ親しんだのは2011年から5年間務めた「ぶらり途中下車の旅」のナレーションかもしれません。藤村さんにとっては、このナレーションが最後の仕事でした。

2017年3月1日逝去

かまやつひろしさん シンガーソングライター 享年78歳

1960年代のグループ・サウンズ全盛期に、人気グループの1つ「ザ・スパイダース」のメンバーとして、堺正章、井上順などと一緒に活動していました。ザ・スパイダース解散後は、「ムッシュかまやつ」としてソロ活動に入ります。トレードマークであるニット帽を被った姿を覚えている人は若い世代でも多いのではないでしょうか。シンガーソングライターなので無論楽曲も創っていますが、大きくヒットした曲はありません。彼が歌って一番売れたのは、吉田拓郎の「ああ我が良き友よ」でしょう。「ムッシュ」の愛称で、多くの人から愛されたのは人柄だったんだと思います。

2017年3月14日逝去

渡瀬恒彦さん 俳優 享年72歳

テレビ朝日「おみやさん」の鳥居警部、同じくテレ朝「警視庁捜査一課9係」の加納警部の姿が頭に浮かびます。若いころは「仁義なき戦いシリーズ」など東映映画への出演が中心でしたが、1980年代からはテレビドラマに軸足を移しました。映画俳優としては、1978年の「皇帝のいない8月」の革命を目指す自衛隊将校が高い評価を受け、1979年の「震える舌」「神様がくれた赤ん坊」でキネマ旬報主演男優賞を受賞しています。

渡哲也の弟なので、いっときは「渡の弟」と言われた時代もありましたが、渡哲也とは全く異なる役者スタイルを確立していました。決して兄の七光で登場した役者ではありませんでした。TBSの「十津川警部シリーズ」も人気がありましたね。

最も輝いていた時期の大原麗子と結婚(お互い初婚で5年少しで離婚)して多くの男性を敵に回したところは松方弘樹に似ています。

2017年6月13日逝去

野際陽子さん 女優 享年81歳

冬彦さんが流行語大賞に選ばれた「ずっとあなたが好きだった」の姑役、不思議が力を宿す文字を書く「トリック」の母親役。着物姿の母親がすっかり定番になった野際陽子さんですが、1968年にテレビドラマ「キーハンター」に登場したときは、セクシーなお姉さんで巷の男性を虜にしていました。世界の「サニーチバ」千葉真一が、「ぞっこん」になって求婚したことでもそれが分かります。

女優としては、1990年以降に映画でもドラマでもバイプレーヤーとして本当に輝いていました。個人的にはトリックの母親役をもう見ることができないのが、悲しくて仕方ありません。

2017年6月22日逝去

小林麻央さん 元タレント、第11代目市川海老蔵夫人 享年34歳

2016年に市川海老蔵さんが進行性乳癌で入院したことを公表して以来、1年間に渡りその闘病生活はメディアや麻央さんのブログ、海老蔵さんの言葉などで伝えられてきました。家族や友人・関係者、現役時代からのファン、さまざまな応援団の願いも虚しく、亡くなりました。

2017年6月28日逝去

森慎二さん 元プロ野球選手、西武投手コーチ 享年42歳

現役時代は西武ライオンズの抑え投手として9年の間に最優秀中継ぎ投手を2回獲得する、相手チームにとっては嫌な(打てない)ピッチャーでした。ライオンズの2002年リーグ優勝にも貢献しています。ポスティングを使ってMLBタンパベイ・デビルレイズに挑みますが故障のため登板することなく日本に戻ってきています。

独立リーグ(BCリーグ石川ミリオンスターズ)の選手兼任コーチを経て、2015年から西武ライオンズにコーチとして復帰します。

コーチとして活動している最中、突然不良を訴え入院。その3日後に溶連菌の感染による敗血症(壊死性筋膜炎)のため亡くなります。突然の死にチームは悲しみに覆われますが、森コーチのためにと西武は7月以降怒涛の進撃をみせて、Bクラス争いをしていたポジションから最終的には2位でフィニッシュしました。試合中のベンチには森コーチのユニフォームが飾られていましたね。

2017年7月1日逝去

上田利治さん 元プロ野球監督 享年80歳

昭和のプロ野球名監督の1人です。1970年代前半に強い阪急ブレーブス(現オリックスバッファローズ)をつくりあげた西本幸雄さん(2011年91歳で逝去)の後を継いで監督に就任すると、1975年から日本シリーズ3連覇を含むリーグ4連覇を達成しました。1978年に日本シリーズ第7戦で、大杉勝男(1992年47歳で逝去)のホームラン判定に1時間を超える猛抗議したシーンは語り草になっています。この抗議の責任をとる形で同年に監督を退きますが、1981年に阪急監督に復帰し合計15年間監督を務めます。その後は日ハムでも監督を務めました。選手としては広島の3年間だけで、それも好成績は残していません。最近は見られなくなった、指導者のプロの1人でした。

2017年7月21日逝去

平尾昌晃さん 作曲家 享年79歳

昭和のヒットメーカー、名作曲家です。1950年代後半から1960年代に起こったロカビリーブームのときにはシンガーとして爆発的な人気を博しますが、ブームが去った60年代後半から作曲を手がけるようになり、1970年代に入ると五木ひろし、小柳ルミ子、アグネス・チャンなどに提供した曲が連続して大ヒットし、一流の作曲家として日本の歌謡界をリードしました。弟子だった畑中葉子と自らがデュエットした「カナダからの手紙」も大ヒット。亡くなった日は、カナダからの手紙を歌う映像がどのテレビ局からも流れていましたね。

2017年11月16日逝去

鶴ひろみさん 声優 享年57歳

アニメ「それいけ!アンパンマン」のドキンちゃん、「ドラゴンボール」のブルマなどの声で有名な声優さんです。首都高速でハザードランプをつけ停車している車中で意識不明の状態でみつかり、病院に搬送後に亡くなっていることが確認されました。死因は大動脈解離による突然死だそうです。

関係者はもちろん、多くのアニメファンもこの急死を悼み、惜しみました。2018年1月13日に、東京青山葬儀場で一般も参列することが可能なお別れの会が開催されることが決定しています。

 

ご紹介できなかった多くの方がいらっしゃることを、謹んでお詫びします。その方々を含めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。