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2016年に亡くなった方々(日本編)

記事公開日:2016.12.30/最終更新日:2023.03.27

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2016年も、たくさんの著名人が惜しまれてこの世を去りました。その中の何人かを、略歴と簡単なエピソードとともにご紹介し、お悔やみの場とさせていただきます。

 

4代目中村梅之助さん

歌舞伎役者 享年85歳(2016年1月18日逝去)

東京都出身。本名は三井 鐵男(みつい てつお)。歌舞伎の屋号は成駒屋。劇団前進座代表。

かつて前進座の俳優だった2代目中村梅雀さんは長男。1986年にNHKで放送されたドラマ『真田太平記』では家康を梅之助さん、秀忠を梅雀さんと役の上でも親子役を演じ話題になりました。

主な主演作には『遠山の金さん捕物帳』『伝七捕物帳』、NHK大河ドラマ『花神』などがあります。

親族による密葬の後、3月3日に東京港区青山葬儀所で劇団葬が行われました。

映画監督の山田洋次さんや脚本家のジェームス三木さん、俳優の里見浩太朗さん、西郷輝彦さん、松平健さんなど関係者やファンら約750人が参列しました。

 

望月三起也さん

漫画家 享年77歳(2016年4月3日逝去)

神奈川県出身。1962年に吉田竜夫が創設したタツノコプロダクションに参加。1969年からは、「飛葉」「ヘボピー」「オヤブン」「両国」「八百」などの元犯罪者が白バイ警官となり悪人を裁くという『ワイルド7』を『少年キング』に連載し(1969年~1979年)大ヒットしました。『ワイルド7』は1972年にテレビドラマ化もされています。

『ワイルド7』以外の代表作は『秘密探偵JA(1965年~1969年)』、アニメ化もされた『マシンハヤブサ(1976年)』などがあります。

亡くなった後の5月9日に第45回日本漫画家協会賞の特別賞を授与されました。

 

蜷川幸雄さん

演出家、映画監督、俳優 享年80歳(2016年5月12日逝去)

埼玉県出身。長女は写真家で映画監督の蜷川実花さんです。

1969年に「真情あふるる軽薄さ」で演出家としてデビューした後、亡くなるまで日本の演劇界を牽引し続けました。蜷川作品は現代劇からギリシャ悲劇やシェイクスピアなどの古典劇まで多岐にわたり、現代日本を代表するだけでなく「世界のニナガワ」と称され海外でも評価が高い演出家でした。

お通夜は5月15日に東京港区青山葬儀所で行われ、弔問に田原総一朗さん、松本幸四郎さん、北大路欣也さん、宇崎竜童さん・阿木燿子さん夫妻、吉田鋼太郎さん、堤真一さん、東山紀之さん、中嶋朋子さん、木村拓哉さん、宮沢りえさん、綾野剛さん、藤原竜也さん、小栗旬さん、鈴木杏さん、亀梨和也さんなど演劇関係者やファン約1,600人が訪れました。翌5月16日の告別式では平幹二朗さん、大竹しのぶさん、吉田鋼太郎さん、小栗旬さん、藤原竜也さん5人のリレー形式による弔辞が読まれました。

 

永六輔さん

放送作家 作詞家、タレント 享年83歳(2016年7月11日逝去)

東京都出身。長女はエッセイストの永千絵さん、次女はアナウンサーの永麻理さん。

早稲田大学在学中に放送作家としてデビューし、1961年から66年まで放送されたNHKの「夢であいましょう」のヒットで人気放送作家としての地位を固めました。その独特の早口なしゃべり口も人気を集め、トークショーやワイドショー、舞台や映画などにも数多く出演しています。

作詞家としても「黒い花びら」が1959年に第1回日本レコード大賞を受賞し、「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などのヒット曲を生み出しています。

葬儀と告別式は近親者のみで行われましたが、8月30日に東京港区青山葬儀所で行われたお別れの会では、長年の友人でもある黒柳徹子さんがメッセージを述べました。

 

大橋巨泉さん

ラジオパーソナリティ、放送作家、タレント 享年82歳(2016年7月12日逝去)

東京都出身。本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)

1960年代から1980年代にかけて、『11PM』、『クイズダービー』、『世界まるごとHOWマッチ』などで一世を風靡した名司会者です。

2001年には、当時の民主党から第19回参議院議員選挙の比例代表候補として立候補し当選しますが、当時の鳩山由紀夫代表ら党執行部との意見の相違から、わずか半年で辞職しています。

パイロット万年筆のCMの『はっぱふみふみ』、11PMの『ボイン』、競馬の『府中の千八展開いらず』、参院を辞職するときの『僕は辞めると言ってはいないんです。辞めたのです』など多くの名言も世に残しています。

お通夜と葬儀は親族のみで行われましたが、2016年9月5日に東京港区グランドプリンスホテル新高輪で営まれた「大橋巨泉さんを偲ぶ会」には、黒柳徹子さん、王貞治さん、石坂浩二さん、ビートたけしさん、タモリさん、関口宏さん、竹下景子さん、小倉智昭さん、菅直人さんら各界から約600人が参列し、黒柳さん、王さん、関口さんが弔事を読みました。

 

千代の富士貢さん

元大相撲力士、親方 享年61歳(2016年7月31日逝去)

北海道出身。歴代3位の幕内最高優勝(31回)、歴代2位の通算勝利数(1,045勝)、歴代3位の幕内勝利数(807勝)を誇る、ウルフの愛称で多くの人から愛された昭和の大横綱です。

引退後は九重部屋を継承し親方として、元大関千代大海、元小結千代天山を育てています。

8月6日に通夜、7日には葬儀・告別式が九重部屋で行われました。九重部屋での弟弟子にあたる八角相撲協会理事長(元横綱北勝海)や読売ジャイアンツ前監督の原辰徳さん、歌手の細川たかしさんら約1,000人が参列しました。

10月1日に国技館で行われた「お別れ会」には関係者約1,500人が参列し、ファンなどの一般会葬者による献花は約3,500人にものぼりました。「お別れの会」では、友人でもある歌手の松山千春さんが献歌を熱唱しました。

 

三笠宮崇仁親王殿下

皇族 享年100歳(2016年10月27日逝去)

先帝陛下(昭和天皇)の弟君、今上陛下の叔父上にあたります。

1935年に奈良市の三笠山にちなんで「三笠宮」と命名された、従軍経験のある最後の皇族であり、日本の皇室に記録として残る最長寿の皇族でした。

告別式にあたる葬場の儀には600人が、一般参拝には1,335人が参列しました。

豊島岡墓地にある寛仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下のお墓近くに埋葬されました。

 

りりィさん

シンガーソングライター、女優 享年64歳(2016年11月11日逝去)

福岡県出身。本名は鎌田 小恵子(かまた さえこ)。

長男はロックバンド・FUZZY CONTROLのJUON。DREAMS COME TRUEの吉田美和さんは義理の娘になります。

1972年の20歳のときに東芝EMIより歌手デビュー。1974年の「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒットとなりました。

DREAMS COME TRUEの中村正人さん、俳優の泉谷しげるさん、映画監督の青山真治さん、アニメ監督の山崎理さんなど、多くの著名人が追悼コメントを出しています。

 

加藤初さん

元プロ野球選手、コーチ 享年66歳(2016年12月11日逝去)

1972年に当時の大昭和製紙(現日本製紙)から西鉄ライオンズ(現西武)に入団。1年目に17勝16敗で新人王に輝きました。1976年にトレードで読売ジャイアンツに移籍し、同年は15勝4敗と勝率1位となる好成績を残し、ジャイアンツの優勝に大きく貢献しています。

通算成績は490試合に登板し141勝113敗、防御率3.50を記録。ピンチにも顔色を変えずないことから「鉄仮面」と呼ばれた名投手でした。

コーチとしては、西武の二軍・一軍ピッチングコーチ、台湾・韓国のチームでもピッチングコーチを勤めています。

葬儀は親族のみで行われ、読売ジャイアンツ移籍当時の監督だった長嶋茂雄さんが追悼メッセージを公表しています。

 

ご紹介できなかった多くの方がいらっしゃることを、謹んでお詫びします。その方々を含めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。