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【追悼記】人生の大恩人だった 志村けん さん。いつまでも忘れません

2020年04月07日

1週間前の2020年3月30日の早朝に衝撃的なニュースが飛び込んできました。それはタレントの志村けんさんの訃報です。その1週間前に、新型コロナウィルスの感染が確認されて入院、治療を受けられているという報道がありました。しかし日本中の誰もが、必ず治癒されて再び元気な姿を見せてくれるだろうと信じていた矢先の悲しい知らせでした。

 

志村けんさんは、昭和から平成にかけて、その卓越したお笑いの才能で日本中に明るい笑顔と元気を届け続けてくれた人でした。訃報の直後から、メディアやインターネット、SNSでは彼の死を悼む声が溢れていました。志村けんさんの足跡や功績は数多くの場で、数多くの人が記されていますので多くは語りません。ここでは、『終活Style』だけが語ることができる志村けんさんの素晴らしさをお伝えする追悼の記事とさせていただきたく存じます。

実は、『終活Style』を運営する㈱ハーシーの代表である橋本真由美にとって、志村けんさんは人生の師であり大恩人なのです。

 

橋本がハーシーを起業するもっと前の話です。当時彼女は二十歳そこそこの小娘でした。大学への進学準備を進めながら、複数のバイトをかけもち、多くの人との出会いの中で自分の夢を模索していた時代でした。そんなある日のこと飲みにいった六本木のバーで偶然にも志村けんさんと隣り合わせになることができたのだそうです。

「こんなチャンスは二度とない!そう考えたわたしは、志村けんさんの気を惹くために頭をフル回転させました。そして無謀にも『志村けんさんのモノマネをします。もしも上手かったら、志村けんさんの事務所で雇ってください』と直談判したんです。今思い出しても冷や汗ものでしたが、当時の怖いもの知らずのわたしは、志村けんさんの目の前で『アイーン』と『へんなおじさん』のギャグモノマネを連発しました。すると志村けんさんは『クスリ』と笑ってくれたんです。『やったぜ!』と思ったわたしは『いつから出社していいですか?お給料はいくらですか?』と矢継ぎ早に話を進めました。すると『では、明日からおいで』と放送作家見習いとして採用してくれたのです」

 

放送作家見習いとして採用された橋本は、志村けんさんから実に多くのことを学びました。お笑いタレントとしての表の顔の裏にある仕事に対する厳しさ。好きなことを仕事にすることの素晴らしさ。それらに共通する『一生懸命に自分の好きな道を歩んでいくというシンプルな生き方こそが最も大切なのだ』ということ。志村けんさんと一緒に仕事をする中で、橋本は大学に進学することに対する興味を失っていったそうです。「進学しなくても、仕事を通して得られることのほうが大きいことに気付きました。進学をあきらめたのではなく、もっと自分の好きなことを突き詰めよう、そう考えることができるようになったのです」

 

志村けんさんとの出会いがなければ、橋本は大学に進学し、ごく普通の就職をしていたかもしれません。自分のやりたいことを見つけ、それにチャレンジし続けることを、志村けんさんとの出会いによって学んだのです。「あの夜、六本木で隣り合うことがなければ、今のわたしは存在しないし、㈱ハーシーも、終活Styleもこの世になかったことでしょう」

 

生前の志村けんさんは、テレビの中で見せるひょうきんな一面とは別に、誰に対しても穏やかにそして誠意を持って接してくれる人だったそうです。「二十歳の小娘の悩みも親身になっていつも聞いてくれました。お客さんと会食をするときは、スタッフや運転手の人にも常に自分たちと同じ食事を別席で振る舞っていました。周囲に対する感謝や気配りや、仕事は決して1人だけでなし得られるものではないことも、得られた大きな学びでした」

 

「志村けんさんから学んだことを、改めて強く自分の糧とし、これからの社会や数多くの人が幸福になるためのお手伝いをし続けていきます。心から感謝しています。ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。安らかにお休みください」

 

志村けんさんの葬儀は近親者だけで営まれるのだそうです。お別れの会が後日行われるかもしれません。

享年70歳。早すぎですね。心からご冥福をお祈り申し上げます。